【第4回目 死にたい気持ちを語る会 ご報告と私の感想 】

【第4回目 死にたい気持ちを語る会 ご報告と私の感想 】

7/26 無事、終えました。

今回は定員をもうけてみました。
次回も5名定員でやってみようと思ってます。

いただいた感想です。

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#11 安心安全な場所で死にたい気持ちを話せるというのは、
自分自身の気持ちの振り返りにもなってありがたいです。
新しい出会いもあって死にたい気持ちを抱えながら社会で
頑張っているのは自分だけじゃないんだなと感じました。本日もありがとうございました。
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#12 とても楽しかったです。
死にたい自分が笑えるとは思いませんでした。
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#13 死にたい気持ちを伝えるつもりだったけれど、
和気あいあいと話せました。私はネガティブの星に生まれたので、
これからも自分らしくなんとか死なずに生存できたら儲けものかなと
考えていようかと思います。本日はありがとうございました。
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#14 人は皆、苦しみながら生きている。これが本当ですから、
ポジティブな事しか話さない人に違和感を感じるのは、当然だと思います。
人は、自分の意見に共感してもらいたい。この思いが、なかなか叶えられないのも、
人生だと思います。
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#15 死にたいと言えないことが余計に死にたくさせてしまっているように感じていましたが、そこになにか無理や否定が隠されているからかなあと思いました。
私はその「はっきりとは見えにくいけれど、確実に人を追い詰めるもの」に興味があるなと。
個人的にあきらかにしていきたいです。
今日は死にたい気持ちで人とつながれてうれしかったです。
つらいや苦しいといった感情でも人と人は分かち合えると思う、
それが私にとってささやかな生きる希望かなと。
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今日話し合った内容も、外に向けて少し伝えてみようということに参加者の方に同意していただいたので
話題になったことと、私の中に残っていることを書いておこうと思います。

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1つは、毎日、一日に何度も、死にたい気持ちが起きる中で
どうやって生き残ってますか?という話題で
それについての互いの工夫を話していて、
ひとつひとつ、辛い時は試させてもらいたいなと思うような内容で、
これは、トラウマセラピーインスティテュートこだまのホームページに残していこうということになりました。
希死念慮コーピングとでもいいましょうかね。
沢山集めて、沢山試してほしい。
そして、なるべく最後の選択肢を選ぶまでの時間を稼ぎたい。

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2つ目は、辛いという気持ち、死にたいという気持ち、弱っちい気持ち、
こういうものをないものとされることや
病気になっていること自体を否定されること、

それがいかにその人の存在を否定するのかということ。

よかれと思って言うんでしょうけれど、
「そんな下ばかり向いていたら、かっこわるいよー」
「男なのにしゃきっとせんな」とか
「死にたいとかいうなよ」
「なんで病気になるの」
のようなことが人を追い込んでしまうということ。
そういうことを感じている、私まで、いてはいけないという気持ちになってしまうということ。

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3つ目は、身体の病気で亡くなると、闘病の末に亡くなったと大事に扱われるのに、
自死で亡くなると、なぜにこんなに忌み嫌われるような
悪いことをしたような、そんな扱いになってしまうんだろうね、ということ。

自死した人も、何度も葛藤したのではないかと思う。
生きたくて、死にたくなくて泣いたのではないかと思う。
死ぬほど辛いし、死ぬ気になるならなんでもできるはずとか、
自分が死んだら迷惑をかけるとか、色んな葛藤を重ねたのだと思う。

この話をしているときに、なんというか、
生きてる時も十分に大事にしてくれなかったのに、
死んでまでこんな扱いだなんて、あんまりだ、という気に、私がなりました。

勿論、自殺はいけない、と言うことで自殺する行動を抑制したいという気持ちはわかる。
誰かが死ぬのは悲しいから、それをなくすために
そういうのは神が禁止しているとか、地獄におちてしまうよとか言って脅したくなると私も思います。
死んでほしくないから。
でもそうされると、もう語れなくなりませんか。
なんというか、この死にたいほど辛い、こう思う自分まで否定しなければいけないような。

自らの死しか、選択肢にないと感じなければいけないほど、追い込まれている、
この背景に思いを馳せてもらえないだろうか。

そうしたら、もっと、

死を選ぼうとしている人と、死をやめてほしいと思う人の間で対話ができるんじゃないかと思う。

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世間的に、道徳的に正しいことは、もう私達は大体、なんでも知っていると思う。

はいは~い、知ってますよ~って感じで。

でも知ってることとやれることっていつも違うじゃないですか。

世間的に正しいこととやりたいこともいつも違うじゃないですか?

そうすればいいんでしょって感じと、

でもそうは生きられないんだよね、という感じと・・・

正しいことを教えられても、余計に距離ができるだけと言いましょうか、、、

正しいことを頭で教えることは、もういらないんだろうなと思いました。
そういうのはネットに全部書いてあるから。

正しいことと、やることは、ずれていて、そのギャップを埋める方法があるとすれば
それは自分が体験して納得することなのかなと。

体験するということは、語ることの時もあるのでしょうし、
実際、行動してみるということもあるのでしょうし
誰かがそう体験した話をきくこともあるのでしょう。
誰かがそう思ったという話を聞くことのときもあるのでしょう。

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なんで死んだらいけないんだろうとか、
自殺したらなんでいけないんですかとか、
やっぱりもっと語り合いたいなと思いました。

私はやっぱり、死んでほしくないですよ。
自分の私利私欲だと思うけれど、一度触れ合った人には
できれば幸せでいてほしいし、まだこれからも何度も何度も話をしたり
出会ったり、触れ合ったり、話を聞かせてほしいから、
死んでほしくないと思う。

この有限の時間を、ちょっとでも一緒に過ごしたいと思う。
だから、死ぬ選択をするまでの時間を引き延ばせるなら、なんでもしてみたい、と思います。
でも、それと、その人が死にたいと思う気持ちを禁止するのは違うのでしょうね。

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今日もよい夜でした。
深く繋がれる、この感触に助けられます、私が。

死にたい気持ちでつながれて、わらえる。

なんか、変な感じですよね。

でも、幸福な感じがしました。

来月は5回目で、8月30日22時からです。

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